大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)1773号 判決

控訴人 被告人 鄭三子

弁護人 大蔵敏彦

検察官 下牧武

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

但し、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は第一、二審とも全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人大蔵敏彦作成名義の控訴趣意書のとおりであるから、これをここに引用し、これに対し次のとおり判断する。

論旨第一点

原判決援用の証拠によれば、被告人が昭和二五年一〇月一九日朝鮮人大山日文こと鄭日文と婚姻した事実は優にこれを肯認するに足りるのである。

即ち大山日文と鄭日文とが同一人であることは、鄭日文の司法警察員に対する供述調書、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、大山日文と小山三子の婚姻届、鄭日文の戸籍謄本によつて十分これを確認しうるのである。

而して、被告人が鄭日文と婚姻した当時においては、朝鮮人は依然日本国籍を保有していた者であるから、被告人と鄭日文との婚姻の成立要件は、共通法第二条第二項及び法例第一三条第一項に基き、被告人については日本民法を適用し、鄭日文については朝鮮民事令を適用すべく、その婚姻の方式は共通法第二条第二項法例第一三条第一項但書により婚姻挙行地である日本民法に従うべきものである。ところで朝鮮民事令第一一条第一項によれば、婚姻の成立要件は朝鮮の慣習によるべきであり、当審証人横山実の当公廷における供述によれば、従前朝鮮においては、婚姻するには年齢にかかわらず戸主及びその家にある父母の同意を要するとの慣習の存在したことを窺知し得るのである。また民法第七三九条第二項によれば、婚姻の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上から、口頭又は署名した書面で、これをしなければならない旨規定されているのである。

しかるに、被告人と鄭日文との婚姻届書によれば、原判決も認める如く、婚姻の当事者双方及び成年の証人二名の署名押印でなく、記名押印であり、鄭日文の戸主又は父母の同意書の添付されていないことは所論のとおりである。

しかしながら、婚姻の届出が民法第七三九条第二項に規定する条件を缺く場合においても、それのみによつて婚姻の効力を妨げないことは、民法第七四二条第二号の規定に徴し明白である。また、本件婚姻届出の受理せられた当時においても、朝鮮において前説示のような慣習が存続していたか否かは、これを確認するに足る証拠は存しないのであるが、仮に右のような慣習が存続していたとしても、この慣習に違反してなされた婚姻が有効に成立するか否かについての朝鮮における見解は不明である。従つてかかる場合には婚姻の本質、終戦後における民主主義の普遍化の傾向等を併せ考え、朝鮮に妥当するものと推認せられる条理に従つてその効果を判定するのが相当である。ところで被告人の原審公判廷における供述及び鄭日文の司法警察員に対する供述調書によれば、右当事者間に婚姻の意思のあつたことは十分これを認めるに足りるのである。

しからば鄭日文において、戸主及びその家にある父母の同意を得なかつたという点において婚姻の成立要件に不備の点があるとしても、婚姻の当事者間において婚姻の意思のあることが明白であり、且つその届出が戸籍吏によつて受理された以上は、当事者の意思を尊重し、婚姻届出の受理せられると同時に婚姻は有効に成立したものと解するのが相当である。

次に筆頭者小山三一郎の戸籍謄本によれば、被告人の元の本籍新潟県中蒲原郡白根町大字七軒五九番地小山三一郎の戸籍から被告人は大山日文と婚姻、夫の氏を称する旨の届出、昭和二五年一〇月一九日静岡県庵原郡蒲原町長受附、同月二五日送付、朝鮮慶尚南道固城郡固城邑牛山里七四八番地大山錫文の戸籍に入籍につき除籍する旨記載されているに拘らず、戸主鄭錫文の戸籍謄本によれば、被告人はその夫である大山日文こと鄭日文の本籍である朝鮮慶尚南道固城郡固城邑牛山里七四八番地の戸籍に現在なお登載されていないことは所論のとおりである。

しかし、昭和二三年一月新戸籍法の施行に伴い、旧戸籍法(大正三年三月三一日法律第二六号)上認められていた入籍通知の制度が廃止せられたのみならず、終戦後日本内地と朝鮮との間に正常な通信、交通の杜絶していたことは当裁判所に顕著な事実であり、従つて自由に朝鮮の戸籍に登載する手続を履践し得ない状況にあつたものといわねばならないのであつて、これらの事情を考慮すれば、鄭日文の戸籍に登載せられていないことは、未だ被告人と鄭日文との婚姻の成立に消長を来すものとは解し得ないのである。原判決には所論のような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

論旨第二点

現在日本国と朝鮮の如何なる政府との間にも、在日朝鮮人及びこれと婚姻した日本人、在鮮日本人及びこれと婚姻した朝鮮人等について国籍の帰属に関し如何なる条約も合意も存在しないことはまことに所論のとおりである。しかし乍ら法的には、その第二条(a)項に「日本国は朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対するすべての権利権原及び請求権を放棄する」旨を定めた昭和二七年四月二八日条約五号による「日本国との平和条約」の発効によつて始めて日本国の朝鮮に対する統治権は消滅したものであつて、所論の如く、ポツダム宣言の受諾により直ちに朝鮮が我国から独立したものとは到底解し得ないのである。そして終戦後右平和条約が発効する迄の間は日本国の主権は事実上朝鮮には及び得なかつたにすぎないものであつて我国法上からすれば、朝鮮はなお我国の統治権下に存在し朝鮮人も未だ日本国籍を有していたものと認めなければならないのである。外国人登録令がその第一一条第一項において、同令の適用については朝鮮人も当分の間外国人と看做す旨規定したのは正にこの間の事情を示すものである。

而して、右平和条約が発効すると同時に、その第二条(a)項によつて、総ての朝鮮人は日韓合併のなかつた時の状態に復して日本国籍を離脱し、外国人となつたものと認められるのである。そしてここに朝鮮人とは、先の日韓合併時において、韓国籍を有していた者及び日韓合併なかりせば、当然韓国籍を得たでおろう者の総てを包含するものと解するを相当とすべく、また日韓合併なかりせば当然韓国籍を得たであろう者とは、日韓合併後朝鮮の戸籍に登載された者及び当然登載せらるべき事由の生じた者を指すものと解するのが相当である。ところで、被告人は前説示の通り朝鮮人たる夫鄭日文と婚姻したのであるから、右の婚姻により朝鮮人たる身分を取得した者と解すべきであり、このことは平和条約発効迄はなおわが国の法令として有効に存続したものと解せられる共通法第三条第一項の趣旨に徴し自ら明らかである。従つて、被告人は当然夫の戸籍即ち朝鮮の戸籍に登載せらるべき事由の生じた者と認め得るのである。してみれば、被告人は右の婚姻により朝鮮人たる身分を取得した者であり、平和条約の発効と同時に当然朝鮮の戸籍に登載せらるべき事由の生じている者として、既に朝鮮の戸籍に登載せられている者と同様に朝鮮人として、日本の国籍を離脱し外国人となつた者といわねばならない。

而して、被告人が日本の国籍を離脱して外国人となつたのは、朝鮮の独立に伴う当然の帰結であつて、斯る場合には憲法が国民に保障する国籍離脱の自由権侵害の問題を生ずる余地はないものと解するのが相当である。なお被告人が鄭日文と婚姻した当時已に現国籍法が施行されていて、これによれば、外国人の妻となつた日本人女は当然には日本国籍を失うものでないことはまことに所論のとおりであるが、当時は未だ鄭日文も日本国籍を保有していた者であることは前説示のとおりであるから、これと被告人との婚姻には国籍法が適用されるべき筋合のものでないことは言うまでもないところである。

次に被告人の当公判廷における供述及び住民登録世帯人員票によれば、被告人は小山み子名義で静岡県庵原郡蒲原町蒲原九〇番地の四において昭和三〇年二月八日日本人として住民登録をしている事実が認められるのである。

しかし乍らこれは被告人が当時已に鄭日文と婚姻し、朝鮮人たる身分を取得していたのであるが、法の不知の為なお日本人であると誤解して為したものであることが被告人の当公判廷における供述によつて明らかに認められるので、これをもつて被告人に外国人登録法違反の故意なしとは認められない。

以上のとおりであるから、被告人が原判示認定の如く昭和二七年四月二八日以後外国人登録証明書交付申請を為さなかつた事実は外国人登録法違反罪を構成するのである。原判決には所論の如き事実誤認も法令適用の誤も存しない。論旨は理由がない。

しかし乍ら職権によつて本件記録を精査して按ずるに、原審並びに当審取調の証拠に現われたところから判断すれば、被告人の本件違反は法の不知に基因するものと認められ、これに被告人の本件違反の態様に、被告人の性行、経歴、境遇、家庭の状況等諸般の事情を綜合すれば、たとえ罰金刑とは雖も被告人に対し実刑を科した原判決の量刑は稍々重きにすぎ失当と認められる。

原判決はこの点において破棄すべきものとする。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 山本謹吾 判事 渡辺好人 判事 石井文治)

弁護人大蔵敏彦の控訴趣意

第一点原判決は判示事実として、「被告人は昭和二五年一〇月一九日朝鮮人である大山日文こと鄭日文と婚姻し」たと認定している。しかしながら押収に係る大山日文、小山三子の婚姻届は被告人と鄭日文両名が婚姻する旨の届出書と解することは出来ない。大山日文と鄭日文とが同一人であるということを認むべき何等の根拠もないからである。更に被告人と鄭日文の婚姻成立の方式について検討するに民法第七三九条には「届出は当事者双方及び成年の証人二人以上から口頭又は署名した書面でこれをしなければならない」と規定してある。ところで前記届書の内容更に原審証人浜村忠の証言をみると、当事者双方と成年の証人二名の氏名は浜村忠自らが記名したものであることは明らかであり、それ以上に届出人が明確にその意思があつたと認定することは出来ない。かかる届出をもつて被告人と鄭日文間の婚姻が方式に適つた有効のものということは出来ないのである。第三に本件の婚姻成立の実質的要件が鄭日文に於いて不備であることは原判決も認めているところであつて、更に原審に於いて提出された鄭日文の本籍地に於いて作成された同人の戸籍謄本をみても鄭日文と被告人との間に実質的にも形式的にも有効な婚姻が成立したという事実を認定することは出来ないのである。この点に於いて原判決は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。

第二点原判決は昭和二七年四月二八日被告人は日本の国籍を喪失し外国人となつたものであると認定しているがこれについて検討する。原判決が右事実認定をなした理由としては、(弁護人の主張に対する判断)二、に詳細に判示してある。その要旨は結局昭和二七年四月一九日付民事甲第四三八号法務省民事局長通達を支持するものである。しかし原判決の見解は左の理由から違法である。

(1)  平和条約第二条(a)項は「日本国は朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことを確認する旨の条項である。これは我国がポツダム宣言を受諾したことにより同宣言第八項により、すでに朝鮮の独立はなされていたのであり、我国が平和条約を締結することによつてはじめて朝鮮が我国より独立したものではない。この事は同条約第四条(b)項の趣旨からみても明らかである。このように同条約(a)項はいわゆる創設的規定ではなく確認的規定と解すべきである。

(2)  日本と朝鮮のいかなる政府との間にも、在日朝鮮人及びこれと婚姻した日本人、在鮮日本人及びこれと婚姻した朝鮮人等についての国籍の帰属について如何なる条約も合意も存在して居らないのである。本件は在日朝鮮人男と日本人女との婚姻にもとずく日本人女の国籍帰属の問題であるが右の如く日本国と朝鮮国との如何なる政府の間にもその問題が解決されておらない以上、日本の行政府が一片の通達で日本人女の日本の国籍を喪失せしめることは許されないと解する。先例によれば独立の場合に於ける国籍の帰属については、系統主義、出生主義、住所主義などあるようであるが、日本と朝鮮の場合如何なる基準になるか現在のところ不確定である。従つて日本の行政府が本件の如き場合日本人女を一方的に日本の国籍を失つたものとし更には朝鮮の国籍にあるものとして一方的に取扱うことは不合理である。而もかかる行政的な取扱に協力しないという理由で刑罰に処するということは更に不合理である。

(3)  日本国民は憲法によつて法の下に平等であることが保障されている。国籍の問題についてはこの憲法の規定を受けた新国籍法により日本人女が一般の外国人と婚姻した場合日本国籍の喪失については同人の自由に委ねられている。しかるに本件の如く朝鮮人男と婚姻した日本人女については、何等本人の意志に基ずかず平和条約発効と同時に日本の国籍を喪失せしめるという取扱は右憲法の条項に違反する不平等の取扱である。被告人は原審公判廷に於いても日本の国籍を喪失せしめられるという事は耐えられないことであると述べている。これは日本人としての純粋な民族感情から出ている言葉であつて、かかる被告人の真情は尊重されなければならないと信ずる。

(4)  以上述べた通り在日朝鮮人の国籍処遇について国際的な合意が成立していない今日、而もそれと婚姻した日本人女についての国籍の問題を何等同人の意志に基ずかず一方的に取扱うことは違法であり、憲法、新国籍法の趣旨に反するものである。

原判決はこの点に於いて事実を誤認したか、或いは法令の適用を誤つた違法があるから破棄されるべきである。

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